コツコツ前田のうつ病物語

私がこの仕事と出会ったのは高校生3年生の

最後の春休みでした。自宅が繁盛している

整体の同級生が

「アルバイトで働いてみないか?」

と誘ってくれたのです。
私じゃなく、もう1人の同級生に(笑)

ちょっと興味があったのでその同級生と一緒に面接を

受けたんです。そしたら、その同級生は県外の大学へ

進学してしまったので私が採用されてしまいました。
これも今思えばご縁だったのだと思います。

高校を卒業したばかりの私は当然一番下ですので、
挨拶から受付、雑用、電気付けなどを行いながら先輩方の
施術を見て技術を盗み、学び、指導して頂く日々が続きました。
厳しいことも何度か言われたのですが

人と接する仕事が楽しかった

ので苦にならなかったのと先生をはじめ先輩方や
お客様が応援してくれたおかげで、
1人で施術できるまで成長することができました。

技術は自信が出てきたのに、それに知識が追いつかない

状態に気づき

10年間勤めた整体を辞め

整体の専門学校に入学し接骨院でアルバイトを始めました。
結婚もして子供もいたので、他のバイトも始め年末年始以外は
ほぼ毎日働いてなんとか生活できる状態でした。
好きで専門学校に行ったので正直、我がままだったと思いますが
家族も了解してくれたので2年間頑張ることができました。

そしてイチローメジャーデビューの2001年に
「六軒屋カイロプラクティック」として開業しました。
おかげさまで直ぐに軌道に乗り順風満帆でしたが、
2003年に何を思ったのか、再び専門学校と大学の
ダブルスクールに挑戦することを決心しました。
さすがにこの時は家族に不安を与え心配させて

しまいましたが

「大丈夫!なんとかなるさ!」

って楽観主義で考えていました。

 

が、入学してみたら大変!!
毎月、大学のレポート数本と専門学校の勉強、
そしてハードな自転車通学。
丸の内の学校まで片道13キロこいで通い、
自宅に帰るといつも夜の11時を回っていました。

なんとかこの生活を4年間続け、国家試験にも合格し
これでハッピーになるかと思いきや

最後の落とし穴!

が待っていました。

 

それは、紹介であるスポーツクラブ内に
他店を出したのですが、本店との仕事の両立が大変になり、
またスポーツクラブの移転が決まり、そこでは入店できないと
告げられ、まさに地獄に突き落とされた瞬間でした。
ショックを隠しきれず、ついに精神的にも病んでしまい

心療内科に通って安定剤と睡眠剤を飲みながら半年間も

がいていました。
ちょっとしてうつ状態だったと思います。

このままでは自滅する・・・
でも自分ではどうすることもできない。
最後に頼ったのは家族と仲間でした。
そのときの状況が大好きな歌手「SEAMO」の歌に

書かれています。

「そう思えば、いつも僕は
無理に笑っていた。強がってた、
気を張ってた、涙こらえていた」

素直にこのことを仲間に話したとき涙が止まりませんでした。
このときから自分の生き方が変わったと思います。
人は1人では生きていけない。家族や両親、師匠、仲間、
そしてお客様に支えられて生きているのだと!

 

そこで好き勝手な自分、天狗になっていた自分、

病んでいた自分を忘れないために
人生の目的を決めました。

「自分の健康と幸せを再優先に考えて行動し

家族や両親、先生、仲間、スタッフ、お客様、

そして縁ある方に元気・勇気・希望を与え

夢が叶うまで絶対にあきらめない

いつも心がけていることは、
笑顔でおもてなし、親切に対応し、感謝の気持ちを忘れないことです。
多くの方から感謝されるこの職業を誇りに思っています。
みなさんの笑顔が私の喜びです。「ありがとうございます」が一番多く
言って頂ける地域で愛される接骨院を目指します。
改善させるだけでなく、1人でも多くの方が幸せになってもらうために、
豊かになってもらうために私は施術活動を行なっていきます。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

実は続きがまだあります(笑)
コツコツ前田に興味のある方、
もっと知りたい方のみ読んで下さいね。

自分で言うのも何ですが真面目で誠実、責任感が

人一倍強い性格。特に母親がそうで、その遺伝子を

受け継いでいる感じです。

大人になるとこれが裏目に出ることがあるんですね。
完璧主義者な私は仕事も徹底して行う癖があります。

仕事が順調で軌道に乗っているときは良いのですが、
その勢いでさらに業務拡大したことによって

適正キャパシティを超えてしまったんです。

そこで少しセーブすれば良かったのですが、
できない自分が許せなくなり、

自分自身にプレッシャーをかけ再び「うつ」
格闘する日々が続くことになりました。

今でこそ認知され100万人をも
超えてしまっていると伝えられています。

やる気がない、意欲がない、元気がない。

これは脳の異常で、私の場合、自分でコントロール

することが難しくなり、突然、我がままになって妻や

子供たちにも当ってしまいました。
それぐらい自分で自分を追い込んで、焦り、

「この状況から早く抜け出さなければ!」

と不安の毎日が続きました。

眠れなくなってになって苦しくてイライラしている自分に
対して何度も大声で叫びました。

家族に対して暴言を吐いたこともありました。

仕事も突然休んで家族やスタッフに迷惑もかけた

こともありました。

できない自分に悔しくて、ドアのガラスを割った

こともわりました。

心療内科に通ったけど、先生が信じられず通うことを

やめてしまいました。でも何度もうつを繰り返し根本的には

良くならず再発してしまいました。

でも妻が私のためにわざわざある心理カウンセラーの方の
DVDを購入して見せてくれました。

そこで分かったことは

「うつは蓄積疲労」

であると。

だから何もしないことが最高の療法であることを
教えて頂きました。病気を再発した時からまずは
2ヵ月、休みの日はほとんど寝ていました。

パソコンも開かず、メールも見ることもできませんから
返信もできず外からの
情報をすべてシャットアウトしました。

調子が良くなってくると、どうしても動きたくなります。
でもここで動いてしまうとまた再発してしまいます。
動けるのに、動きたいのに、絶対に動いていけない
この時期が一番苦しかったです。
妻が何度もブレーキの言葉をかけてくれた
おかげで立ち直ることができました。

そこで学んだことは

「自分の健康と幸せを最優先に
考えることが周りの人を幸せにする」

苦しんでいるその時は本当に自分が嫌になりましたが
苦しんだおかげで、人の気持ちが分かるようになり
成長することができました。だから今はうつに「ありがとう!」
って感謝しています。もし、私がうつにならなければ
人の気持ちなんて分からないままの施術家で
人生を終えていたかもしれませんから。。

今後はまず自分の健康を最優先に考え
家族の幸せに貢献できる父親として
最幸のスタッフと仲良く、チームワークで仕事をしていく。

そして地域から愛される接骨院を目指すことが目標です。
いつか家族、両親、仲間、スタッフとハワイで楽しんで
サーフィンできることを夢見てコツコツ歩んでいきます。

こんな不器用な私ですが、どうぞよろしくお願いします。

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