うつ病を治す!「メンタル整体」とうつ病物語

自分が3度もうつ病を経験して感じたのが、

きっと私以外にも多くのかたがうつ病で悩んで

苦しんでいるとおもいます。

 

そのかたを自分の経験を活かして救いたいという

気持ちが強くなりました。

 

うつ病は症状がさまざまで、なった人しか

分かりません。

 

そして治すためには家族に理解してもらって

支援してもらうことと、心療内科での治療、睡眠、

食事、運動、規則正しい生活、

 

そして大事なのが意識を内側から外側に

向けことだと私はおもっています。

 

私の場合は1回目のうつ病のときは意識を

外に向けるために、ボクシングを習い、

2回目の時はサーフィンを始め、

3回目の時は愛犬と毎朝散歩をしていました。

 

その時は気分も良くなり、精神が安定

するのですが、何も考えていないときや、

仕事に行く前と終わったあと、休みの時は

意識が内側に向いてしまい、何もやる気が

起きず寝てばかりいました。

 

以前はきっとうつ病患者が今ほど少なかった

と思います。なぜなら心療内科が急激にふえた

からです。

 

きっと時代が変わって、環境が変化し、

ストレス社会が「うつ病」を引き起こしていると

私はおもっています。

 

現代病といっても過言ではないとおもいます。

当院の患者さんでもうつ病になっているかたが

年々ふえています。

 

病院へいってもクスリを処方されるだけで、

根本的に改善しないかたや、クスリがあわず

悪化したり、漢方に変えている方が目立ちます。

 

そんな方々をどうにしかして、救えないかとおもい、

「メンタル整体」を考案しました。

 

カウンセリングも取り入れながら少しでも

気分がよくなるように日々勉強しながら、患者さんと

真剣に向きあって接しています。

 

今後もますます「うつ病」患者が増えることは

間違いないとおもいます。

 

私がやりたいことはうつ病を治すことではなく、

うつ病からくる疲労を回復することです。

 

不安や怒り、悲しみからくる苦しみを親身に

なってきいてあげ、閉じた心を解放させてあげる

ことです。

私のうつ病物語

キャパシティーオーバー

忘れもしれませんが、私の最初のうつ病の

きっかけとなったのが事業の失敗でした。

 

2001年から整体院を開業していた私は国家資格を

取得するために、開業しながら専門学校にかよい、

2007年に卒業し、国家試験に一発合格することが

できました。

 

そしてすぐに信頼している方から

 

「スポーツクラブ内でリラクゼーションを

経営している方がスタッフが足りないので

てったいするから、そのまま引き継ぎ

ませんか」

 

と依頼されました。

 

設備もととのっていて、お客さんもついていて、

リスクも少ないとおもったので、これは絶好の

チャンスだとおもい直ぐに契約しました。

 

でも、まさかこれがうつ病のきっかけになるとは、

その時は全くおもっていませんでした。

 

整体院を開業していたので、スポーツクラブ内での

リラクゼーションはスタッフをやとって、教育し、

一人前に育ったらそこで働いてもらう予定でした。

 

それまでは私が働いていましたが、突然、

スポーツクラブの支配人から

 

「来年、隣に移転するのですが、

そこにはリラクゼーションが入らない予定です

ので、申し訳ありませんが年内で契約を

打ち切らせてくれませんか」

 

というお願いでした。

 

まさに寝耳に水でした。

引き継ぎをしてくれたオーナーさんからは

 

「いつか移転があるかもしれないけど、

すぐにはないから大丈夫だよ」

 

と聞いていたので安心していました。

それが、まさか引き継いでわずか3ヶ月で

言われたので本当にショックでした。

 

もう、てったいすることが決まっていたので

スタッフをやとうことができず、あるていどの

設備も投資したのですぐには辞めれない

状況でした。

 

それが負担となり、整体院を開業しながら、

同時進行で働いていたのでキャパシティーを

こえてしまい、やる気が一気に失せてしまい

ました。

 

徐々にスポーツクラブへ行くのも嫌になり、

孤独をかんじ、毎日がつらいとかんじるように

なりました。

 

結局、最後までやり切ることができず

途中でてったいすることを決断しました。

 

その時にはすでにうつ病の症状が出ていて、

整体院の仕事まで影響が出てしまい、

心療内科に通いながら良くなるまで1年

かかりました。

大失敗

2009年の秋に友人の結婚式があり、

直前にスピーチをたのんでいた上司に

断られたので、私にスピーチをたのまれ

ました。

 

もちろん友人ですので、断ることはできず、

直ぐにスピーチの原稿を考えるために、

友人との過去の出来事をおもい出して

書きだしました。

 

時間がなかったので急いで焦っていました。

今、おもえば何も考えずに友人の良いところを

素直に話せば良かったとおもっています。

 

完璧主義な私は、どうしても友人を喜ばせて

あげたいという気持ちが強く、スピーチの内容も

何度も何度もかんがえ、練り直し、練習し、

なんとか本番直前までに暗記することが

できました。

 

結婚式当日、会場にはいると、私が所属していた

治療院経営会の代表や、整体を習っていた

尊敬している先生もきていたので、緊張していた

のを覚えています。

 

ですからスピーチが終わるまでは、結婚式を

楽しむ余裕さえなかったです。

 

そして、結婚式が始まり、最初に祝福の

乾杯かとおもいきやいきなり私のスピーチ

からはじまったのです。

 

大勢の前で話す機会がなかったので、

暗記していた内容が言えるかどうか

心配になりました。

 

最初は良かったのですが、途中から頭が

真っ白になり暗記していた文面がでて

こなくなりました。

 

その場で一生懸命思い出そうとした

のですが、言葉がでてきません。

 

結局、念のために持っていた原稿を

読むこととなり、非常にがっかりして

しまいました。

 

先生や後輩からは「良かったよ」と

はげまされましたが、どうしても自分の

中では納得ができず、その後の結婚式も

楽しむことができませんでした。

 

家に帰ってからも、スピーチの失敗を

引きずってしまい、これがきっかけと

なって2度目のうつ病が発症します。

 

完璧主義な私が、前回のうつ病の

反省から考え方をかえていたならば、

きっとうつ病にはならなかったと

おもいました。

親子関係

2011年、あるとき父親と討論となり、

激しく言い争ったことがありました。

 

なぜ討論になったのかは忘れて

しまったのですが、話していくなかで

 

「自分には愛情が足りなかった」

 

と訴え続けた記憶がのこっています。

 

きっとその時は精神が不安定で、

父親からの愛情を確認したかったのだと

おもいます。

 

私は学生時代まで、自由放任主義で

そだったので自分勝手にやりたいことを

自由にやってきました。

 

当時は野球にはまっていたので、

小学生から大学生まで野球しかやって

こなかったです。

 

その時は何もおもわなかったのですが、

父親と討論している時に

 

「なぜ、大事な試合に応援に来てくれなかったの」

 

ともう反発しました。

 

その時は冷静さを失っていたので、

なぜ、自分がそんな発言をしたのか

分かりませんでした。

 

父親から

 

「何が愛情不足だったのか紙に書いてくれ」

 

と頼まれました。そしてすぐに紙に

何枚も書きだしました。

 

そこで気づいたのが、自分のやりたいように

自由な環境で育ててくれたのにも関わらず、

不満だけが残りました。

 

今、おもえば父親も仕事が忙しく

応援する時間がなかったのだとおもいます。

 

それから父親と話すことがなくなり溝は

深まるばかりでした。

 

そんな自分が悔しくて、自宅の窓ガラスを

拳で割ったこともありました。

 

最終的には一番尊敬している父親が

あやまってくれたのですが、それでも

愛情不足という不満は消えず、3度目の

うつ病を発症してしまいました。

 

自分が苦しくなると他人のせいにしたくなります。

すべては自分に原因があるのに、きっと逃げて

いたんでしょうね。

 

今、思いだすと恥ずかしくなりますが、

大人になりきれない子供だったとおもいます。

 

父親に甘えて自立できていなかったと

おもいます。この時もうつ病が良くなるまで

に一年はかかったとおもいます。

症状について詳しくはこちら

メンタル整体